風に吹かれ たったひとつの


・「真昼のストレンジランド」/GRAPEVINE


真昼のストレンジランド

真昼のストレンジランド



どこまで引き出しがあるんだこのバンド…と思わされるアルバムだった。
タイトルがネット上で発表された時は「え?」と目をこすってしまったのだけれど、
思えばその時から彼らの不思議世界の中に入り込んでしまってたのかもしれない。
何周か聴いた今ではそのタイトルにまったく違和感を感じなくなってしまった。



ここは異郷か これは現実化
ただの余興か
真昼の光の中へと出てゆこう
俺は塵芥
(「Silverado」より)


1曲目の冒頭にこんな詞持ってくるというのが既にストレンジ。
もうなんか視点が凄いとこに行っちゃってるなーと。
だっていきなり「俺は塵芥」、ですよ。 はぁーー。



メンバーの、特に田中さんが見てる風景は、
どんなふうになってるんだろうと思う。


煙にまくような言葉と音に惑わされたかと思えば、
次の瞬間には、日常のはっとするぐらいの深くまで入り込まれてしまう。
結論を提示することもなく、何かをはっきりと伝えることもない。
それでいて、聴き終わった後に、ずっしりと重たいものが残る。
そしてその残ったものは、聴く人によって全く違ったものになっている。



「真昼の子供たち」というアルバムの中心に据えられた曲が象徴的。
鍵盤の音が、爽やかと言ってもいいぐらいの軽やかさで響くイントロから、
ポップさを保ちつつ、風景の中をじっくり見渡すようなサウンド展開。
歌詞はシンプルだけれど、どこか掴みどころがない。
きっと、この曲に出てくる「毎日」は1つとして同じじゃないし、
「どこ」も「あれ」も、聴き手が十人いれば十通り存在していることだろうと思う。
そして、おぼろげなイメージが浮かぶ中で、
「世界を変えてしまうかもしれない」というフレーズが、
何とも言えない予感をもたらして、笑いながら去っていく。



そして、またバインの凄みを感じるのがこの全体としての流れ。
1曲目から聴き進むにつれて、それぞれの楽曲に心を掴まれつつも、
どこかすっきりしない感覚がだんだんと積み重なっていく。
それを、ラストの「風の歌」が全部包み込んで、連れて行ってしまう。


決して吹き飛ばされて無かったものにされるわけではなく、
また忘れた頃に戻ってくるような、そんな柔らかさで、その感覚は風に運ばれていく。


そして、最後に、それぞれの、「たったひとつ」が残る。




まだまだこのアルバムに対する思いは増えていく事だろうと思う。
久々のツアーが本当に楽しみ。
とりあえず、田中さんのにやりとした笑顔が見たい(笑)
そして、たったひとつの先にあるものを、たくさん見たい。

このさきの世界だってずっと
かわらなくつづくはずだろう?
それでいい そういえばいい
もうなにもおそれはしないと


(「おそれ」より)


わからないまま、うたがいながら、それでいいと。
おそれながら、おそれずに。
つづく。