ちゃんと笑うよ

・Good Dog Happy Men 「Moon Light Medicine」

10年以上ぶりのGood Dog Happy  Menのライブ、京都と東京の2会場に参加してきました。ほんとは京都の直後に一度間奏書くつもりでtwitterにも書くって言っちゃってたんですがここまで書けずにいて申し訳なさ…… 今もちゃんとしたレポみたいなものを書く気力がどうにもで出てこないのですが、それでも何かしら残しておきたいと思ったので、思うままに書き連ねてみます。

 

 

・Good Dog Happy Menという存在について

10年もライブをやっていなかった彼らの音楽ですが、はっきり言って今も自分の中心にいます。「かつて好きだった思い出」みたいなものではなく、もう長いことど真ん中に居座り続けて、離れてくれません。そこに彼らの音楽がいてくれることにすがって生きてきたようなところもあるぐらい、いろんなものを背負ってくれている感覚があります。

なんでこんなに特別なのかいまいちわからないんですが、今後もこの音楽と一緒に死ぬまで過ごしてくんだろうなと思っています。

 

 

・京都での話

 

なんだかいまいち実感のないまま当日をむかえ、ふわふわした感じで電車に乗り、京都が久しぶりすぎてかかる時間の感覚を間違え、飯をちゃんと食べる時間を取れずに会場でポテト食べながら開演を待ちました。(だいぶ挙動不審)

ちゃんと時間を見ていませんでしたが、体感かなり待った感じでメンバー登場。

 

初っ端がNightmare's Beginning。これは前回(というには遠すぎる笑)の門フェスの1曲目と同じ。あれ自体4人Good Dogとしては6年ぶりとかだったわけですが、もうなんか感慨深いとかは通り越してますよね。「ああ……ああ…」という感じ笑

久々のGDHMとしての門田さんの歌声ももちろんぐっと来たんですが、「大変だ!」→「大変だ!」からの「ガブッガブ」があまりにも良すぎてもうなんか感情がぐちゃぐちゃになりました。Good Dog Happy Menってこういうバンドだったなと。

 

2曲目がApple star storyS。世界で一番好きな曲。門フェスで泣いた記憶があるけど今回も普通に泣いてしまいました。おっさんの涙は汚い……ごめんなさい。間奏で挨拶するのずるい。でアレンジもすごい。ちゃんと笑うよ

 

「大行進」→武瑠さんの歌最高&大地のリズム最高 

「鍛冶屋 花火師 ピエロ」で武瑠さんがニラさんの方を見ながらずっと笑ってて、ニラさんもそれにつられて笑いながら弾くという構図が見られてこっちもめっちゃ笑顔になってしまいました。

 

雨と仲良く、があまりにも優しすぎて……ほんとに良い曲だなと。最後のきれいごとアレンジも好き

 

そして列車は行く

やっぱりこの曲の盛り上がりは凄い。「手をたたくだけで熱くなることを確かめようか」本当に唯一無二の空間を作り出してくれる曲

 

黄金の鐘(demover)

そもそもやらないかと思ってたけど、やるならやっぱりこっちですよね。嬉しかった。「心をこめて」なんて歌詞をほんとに心をこめて歌うのこの人たちぐらいでは?

 

 

東京はアンコールに入るまではMC少な目でしたが、京都はめちゃくちゃ喋ってました。正直順番も細かい部分もあまり覚えてないんですけど、羅列してみます

 

道中について(修学旅行、という言葉を何度か使ってらっしゃった記憶)。本当は全員で1台の車で名古屋に行く予定だったけど、直前に門田さんがぎっくり腰のような状態になって一人だけあとから合流することになった。車中ではニラさん曰く大地さんがずっと喋っていた。大地さん「楽しかったの俺だけ?そんなことないよね?」

昔のツアーの記憶

「この曲は神戸に行くときに何か作ろうってなって数分で作った曲…」「俺たち凄いよね?」「天才だよ」からの「Pretty little horsess」

自由の森学園時代の話

ずっと麻雀してた人&ずっと寝てた人&ちゃんと授業に出てた人 などなどの話

 

昔は「イトダイ」と呼ばれていた大地さん。ある時門田さんに「大地って呼んでよ」と言う。→じゃぁ俺も「マサアキ」って呼んでよ →呼び合う →すぐにもんでん呼びに戻った話

 

武瑠さんが門田さんの体調を気遣ってくれた話→大地さん「彼女じゃん…笑」

 

「友達が多い人間は 友達になろうよ なんて曲作らないでしょ」

「バンドってのは友達と夢を見る装置だと思っていて。だから俺はBURGER NUDSとGood Dog Happy Menしかバンドはやれない」

 

「今からやるのは武瑠と2人になってから作った曲だけど、4人でのことを思って作った曲です」(ニュアンスこんな感じ)→陽だまりを超えてのワンフレーズ→微笑とメロディー

 

 

MOST~ってラストを飾るのにあまりにもぴったりすぎる。「そんなちっちゃな歌 歌ってないさ」で毎度こみあげるものがある。とにかく続くんですよ。ひたすら続くんですよ。

 

 

翌日仕事かつ家まで京都から2時間はかかるので終演後は爆速でTシャツ買って帰宅。そういやTシャツ作りすぎたって話もしてましたね……ふだんグッズは買わないんですけど今回に限っては買わずにはいられなかった。帰宅後全然寝れなかったので急いだ意味なかった疑惑

 

Nightmare's Beginning
Apple star storyS
大行進
鍛冶屋 花火師 ピエロ
キャンプファイヤーソング
pretty little horses
Natural Born Queen
雨と仲良く
ユートピア
Bit by Bit
そして列車は行く
黄金の鐘 (Demo Ver)
前夜祭
en
微笑とメロディー
(can you feel?) ~Most beautiful in the world~

 

 

・そして東京

 

ほんとは京都の感想も書いていろいろ気持ちを落ち着かせてから行きたかったんですけど、いろいろ余裕がないまま時間が過ぎて、当日をむかえてしまいました。

 

東京のことに関しては皆さん配信を観てください。現地にいた人も購入する価値ありだと思います。メンバーの表情も楽曲の響きも現地ではわからなかった部分を感じることができました。

 

セトリ多少変わるかなとは思ってましたがめちゃくちゃ変わってましたね。本編のMCはかなり控えめだった印象。ユートピアを後ろに持ってきて聴かせる流れを重視した当たり、集中して聴く空気を作って進めたい意図があったのかなと思ったり。

 

京都で名古屋と日替わりがあったことは知ってたのでJudgement;は想定内でしたが、まさかのダブルアンコール&黒い羊水

この曲の質感本当に本当に大好きで、まさか4人での演奏が聴けるとは思ってなかったのでまたも泣きそうになりました。門田さんが勝手に歌い始めて皆がそれにこたえるって構図もあまりにも良すぎる……「おお神よ!」最高でした

で、間髪入れずにGroria Streetから愛を込めて #1のイントロを弾く門田さん。

ちらっと他メンバーを見てにやりと笑う。

良すぎません?ずるじゃないですかこの流れ?

なんだか夢を見てるようでした。

 

Nightmare's Beginning
Apple star storyS
大行進
鍛冶屋 花火師 ピエロ
キャンプファイヤーソング
Pretty little horses
Natural Born Queen
雨と仲良く
Bit by Bit
そして列車は行く
ユートピア
黄金の鐘 (Demo ver)
前夜祭
en.
Judgement;
微笑とメロディー
(can you feel?)〜Most beautiful in the world〜
en.2
廃墟の子供達 -黒い羊水-
Groria Streetから愛を込めて #1

 

 

 

そんなこんなであっという間に夢みたいな時間は終わってしまいました。

やっぱり彼らの音楽は自分にとってあまりにも特別な存在なんだなと改めて感じました。

 

今思うことはただひとつ。

続きを早く観たいです。

その時まで、自分も続けていけますように。

 

 

 

書くことと話すこと

このあいだここにアップした自分の過去に関するあれこれの文章を、16日にnoteにもアップしました。

note.com

 

実は現フォにもアップしています。

po-m.com

 

それぞれそこそこ反応いただきましたが、現状現フォでいただいたコメントに一番心が動いたことを考えると、誰かにわかってほしかった、ということなのかと思います。

 

まだ、いろいろなことを書きたい、そして多くの人に読んでほしいという気持ちが残っているので、しばらくnoteを続けてみようと思います。

 

このブログを読んでくれている人が今もいるのかはたしてわからないけれど、ここも続けていきます。ここは燃えないゴミ置き場であり、自分の居場所でもあるので。

 

 

またやり取りしたい人がたくさんいる。声をかけていけたら、と思う(難しいけれど)

 

 

母が壊れてしまったあの日から

この文章は自分の心と今までの記憶を整理するために書いたものです。

 

それでいて、誰かに読んでもらいたい、誰かに聞いて欲しいという強い願いを含んだものでもあります。

 

どこに投稿すればいいか迷ったのですが、とりあえず長い間自分の居場所だったこのブログに上げておこうと思います。

 

拙いひとりよがりの文章ではありますが、何か感じることがあればコメントしていってもらえると嬉しいです。

 

 

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・あの日

 

母が壊れてしまったのは、今から15年ほど前の冬の出来事だった。

 

当時高校二年生だった私は、北海道での修学旅行から帰宅し、うかれた気分で玄関の扉を開いた。

父は海外出張中で、大学生の姉は下宿先で過ごしており、母は一人で私の帰りを待っていた。

 

荷物を降ろして一息ついていると、母はいつも通りリビングから顔をのぞかせ、「お帰りなさい」と言って出迎えてくれた。

その声はとても優しかったが、どことなく雰囲気が暗いのが気にかかった。

見ているこちらが不安になり、得体のしれない怖さを感じる。そんな空気を感じた。

 

しかし、スキーや街歩きを満喫し、飛行機の遅延によって予定より大幅に送れて帰宅した私は、とにかくへとへとに疲れていた。

母の様子は気にかかったものの、できるだけ早く横になりたい。

実に適当にシャワーを浴びてベッドにもぐりこむと、あっという間に眠りに落ちていった。

馬鹿みたいに深い眠りだった。



翌朝、起きてきた私の顔を見るなり母は「死にたい」と言った。

 

正直に言って「また始まったか」と思った。

母は少し前から鬱的な状態になることが多々あり、私はこういった発言にはもはや慣れっこになっていた。

 

適当にテンプレートのような慰めの言葉を口にし、ひとまず母が落ちついたのを確認してから学校へと向かった。

 

夕方帰宅すると、家の中に母の姿は無かった。専業主婦であり、外出するのも大抵は昼時である母が、特に何も告げずに不在にするのはそれだけで珍しいことだ。

どうやら母は車で出かけたらしい。

何か嫌な予感がしたが、当時母は携帯電話の類を持っていなかったので、特に何ができるわけでもない。

音楽を聴きながらだらだらと帰りを待った。

 

母から電話がかかってきたのは30分後ぐらいだったと思う。

重く小さく掠れた声で、何を言っているのか、ほとんどは聞きとれなかった。

拾い上げられたのは、ただ、「死にたい」と言う言葉だけ。

こちらの声が届いているのかもわからないまま、電話は切れてしまった。

 

それから、車が戻って来る音が聞こえるまで、実際には数十分というところだっただろうが、自分には本当に長く感じられた。

ひとまずの無事を知り、私はほっとする一方で、これから先を想像して恐怖を感じていた。

いったいどう母にどう声をかけ、どう接したらいいのだろう。

 

降りてきた母は呆然とした顔で、私と向き合った。

そして、「死にきれなかった」とぽつりと言った。



・全部嘘だった

 

ここからの記憶は自分でも驚くほどに曖昧で、おそらく今の私が勝手に作りだした事実と異なる記憶もあるように思う。

しかし、

「私が全て悪かった。全部嘘だった。お父さんもお祖母ちゃんも何も悪くない。全部私のせいだった。」

母が泣きながら、絞り出すようにそう言った、その光景だけははっきりと目に焼き付いている。

 

 

・母と私

 

私は幼少期から根っからの母親っ子だった。

母の言うことを信じ、頼り、依存して生きてきた。

客観的に見てマザーコンプレックスの類だったと思うし、今でもそれはおそらく変わっていない。

 

そして、母は毎日のように夫や姑への不満を口にしている人だった。それは当時の私にはひどく重たい言葉に思えた。

 

母と父はよく喧嘩をしていたものの、関係が破綻していたわけではなかったし、普段は笑顔で会話していることも多かった。

 

しかし、周りに私や姉しかいない時に母がこぼす愚痴や怒りの言葉は、呪いの様に私の頭の中に刻み込まれていった。




「全て私が悪かった。全部嘘だった。」

 

その言葉は、母にとっては鬱状態の混乱から生じた気の迷いのようなものだったのかもしれない。

何かショックを受けて精神的に不安定になった人が、全てを自分のせいにして抱え込み、負の連鎖に陥ることはそう珍しいことでもないだろう。

 

しかし、当時の私にとってそれは衝撃的な出来事だった。

 

大げさに思われるかもしれないが、自分の中の価値観が根本から崩れていくのを感じた。

 

私は母の目線から見た世界しか知らずに生きてきたのではないか?私の考えは本当に私のものだったのか?

 

そんな思いが私の中にどんどん広がっていった。




そして、その発言をしたあと、「母は壊れてしまった」。

 

どのタイミングでそれが発症し、どのような経過で重症化したのか、今はほとんど覚えていない。



覚えているのはー

 

「冷蔵庫から火が出てる!」「警察に逮捕される!」などととくり返し叫んでいる。

 

怯えた顔でぴょんぴょんとその場で跳ねている、意味もなく、跳ね続けている。

 

遠方からかけつけた祖父母(母から見た両親)を見ながら「あなた誰?」と問いかける。

 

ーそんな母の姿。




そして、暴れる母を車の後部座席に無理やり乗せて、家族4人で総合病院へ向かったこと。

 

イヤフォンで耳をふさぐようにして聴いていた曲が、あまりにも綺麗な音色だったこと。

 

薬か何かでひとまず落ち着きを取り戻し、帰路に就いた母の憔悴しきった顔。

 

そんな捨てたくても捨てられない記憶の欠片が、今もふとした時に頭の中によみがえってくるのだった。





・壊れてしまった

 

2020年の現在は、「統合失調症」という病名が浸透してきたが、15年前はまだ「精神分裂病」という表現が残っており、私の頭に刻み込まれたのもそちらの病名だった。

 

当時の私にとって、その響きは何か絶望的なものであるように思えた。



これを読んでくれている方、特に病気に関わる当事者の方は、「壊れた」という表現に悲しみや怒りを感じるかもしれない。

 

しかし、「私の中で」母は確かにこの時壊れてしまった。

 

それは消しようのない感覚であり、母の症状が軽くなって傍目には普通の生活ができるようになった後も、私の心にずっと重たくのしかかっていた。

 

あるいは、「自分のこれまでの感覚が壊れてしまったこと」をすべて母のせいにして、心の平穏を保とうとしていたのかもしれない。



それからの私の生活は一変してしまった。

 

高校にはひとまず通っていたものの、ほとんどのことに集中できず、成績は当然の如くガタ落ち。

 

家に帰れば、多少落ちついたとはいえ相変わらず妄想の類を語り、死にたいと繰り返し呟く母がいて、部屋にいても跳ねている音がずっと聞こえてくる。

 

部活に信頼出来る友人達がいたのが救いで、ほとんど部活の時間だけを支えにして過ごす日々だった。

 

そうして三年生の夏、総体が終わるまでは何とか過ごしたものの、部活動が終わり、完全に周りが受験に集中し始める二学期が始まると同時に、私は学校へ行けなくなった。



・逃げる日々

 

結局私はあと数十日通えば卒業できるはずだった高校を中退した。

 

うしろめたさを感じながら家に引きこもり、パソコンに向かって、音楽や詩、小説のサイトを眺め、吐き出すようにブログを書く毎日。

 

ありがちなことだが、ネット空間で好きなことにだけ接している時は現実を忘れられた。現実から逃げ続けることで、なんとか日々をつなぎとめていた。




・予備校と大学と宣告と

そんなふうにして半年が経ち、少しだけ気持ちが落ち着いた私は、元担任に促されて受けた高校卒業程度認定試験をどうにか受けることができ、合格。大学受験の為に予備校へ通うことになった。

 

そして、本来実家から神戸市内の予備校へ通えば良いところを、わざわざ京都の予備校を選び、寮に入って1年を過ごすこととなる。

 

父と、そのころにはだいぶ症状が改善しまともな会話ができるようになった母との間で、どういう会話があったのかはわからない。

 

しかし、母のためを思うならば、私は一緒に暮らしたままの方が良いということはわかっていた。

 

それでも当時の私は、これ以上「自分の中で壊れた母」と同じ空間にいることに耐えられなかった。




決して楽しいとは言えない予備校生活であったが、学年で言えば一浪生と同期で奇跡的に志望大学に合格。



自身の鬱状態は簡単には改善せず、不安定な日々では続いたものの、どうにかこうにか講義を受け、週に3、4回は部活動へ顔を出していた。

 

それなりに充実した大学生活だったと言えるかもしれない。




そんな二回生の冬、母は突然の癌宣告を受けた。すい臓がんであり、見つかった時にはもう手遅れに近い状態だった。



それを聞いた時、私は当然動揺し、悲しみ、怒り、「何故」という思いにかられた。

 

しかし、そうした混乱がひとまず収まった時、どこかほっとしている自分を発見して愕然とした。

 

「これでまた、逃げられる。」






・なんだったんだろう

 

宣告を受けてからの母の様子は、表面的には思ったより落ちついているように見えた。

 

でもそれは、全てを受け入れていた、というような綺麗な理由ではなく、事実を受け止めきれずに呆然としていたのではないかと思う。



母が入院してから、大学が比較的近かった私は毎日のように病室へ通った。

 

会話は何気ないものが大半で、ただ言葉もなく静かに時間がすぎるのを待つ時間も長かった。



そして一つだけ、これもまた馬鹿みたいに鮮明に残っている記憶がある。

 

静けさに包まれた病室で、窓の外を眺める母からこぼれおちた言葉。

 

「私の人生はなんだったんだろう。」



何も答えることができなかった。





・あの日から

 

母は1月13日の金曜日に癌宣告を受けた。3月13日の金曜日に容体が悪化し緩和ケアの施設に移った。 

 

そして呼吸をやめてしまったのは4月2日だった。

 

なんだか笑えてしまうぐらいに不吉な数字が並んでいて、いっそ命日が4月1日であれば嘘にしてしまえたのかな、なんてことを思ったのをよく覚えている。



私にとっての母の死は二度目だった。

 

ずっと死にたい死にたいと繰り返していた母が、最後は死ぬのが怖い、怖いと言って死んでいった。

 

あれからもう10年以上が経ち、母は今も死に続けている。




母が壊れてしまったあの日から、今に至るまで、私は何かフィクションの中で生きているような感覚を抱えて生きてきた。

 

自分がここにいることへの違和感。

 

端から見れば中学生の妄想と変わらない、そんな幼い感覚。

 

そして、逃げるための言い訳を常に探している自分への、どうしようもない嫌悪感。




どうせずっとそれらを抱いて生きていくならば、書くことで見えるものがあるかもしれない。そんな考えで、思い出したく無い記憶を掘り起こし、吐き出してみた。




「私の中の母」はあの日壊れてしまったけれど、本当の、生身の母は、きっと最後まで必死で生きていたのだと思う。

 

「なんだったんだろう」に答えられなかった、そのことが、今もどうしようもなく悲しいし、悔しい。




行くあてのない「ありがとう」を抱えながら、私は今日も逃げ続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽ってなんだ

10年前と比べて音楽を聴く時間は激減したと思う。

好きだった曲やバンドが嫌いになったとかではない。気が付いたら、なぜか遠ざかっていた。

 

たまに大好きな曲(GDHMやROTH BART BARONが多い)を聴き、思い出したようにライブに行くが、昔のように新しい曲を次々と求めて貪欲にいろんなものを追いかけることはなくなった。

 

何故だろう。

 

今でも音楽は好きだ。それは間違いない。

ライブに行ったり配信を観る機会があると、どこまでも満たされる他では得られない感覚がある。

好きな曲を聴けばこれ以上なく感情を揺さぶられるし、知らなかったバンドやシンガーに出会えばわくわくする。

 

ただ、そこにかつてはあった絶対的なエネルギー、新しい音への渇望、そういったものが感じられなくなっている。

 

「歳をとった」

それで片づけることもできるかもしれない。でもそれは何か違う気がする。

相変わらず精神は幼いままだし、不安定で成熟なんて言葉には縁がない。

 

そこにはただ、ぽっかりと穴が開いている。

 

別に音楽を聴く時間が減って生活がうまくいかなくなったわけではない。

傍から見ればむしろずっと長い間何もしてこなかった状況から、少し前進しているように見えると思う。

 

けれど、そこにはただ、ぼっかりと穴が開いている。

 

 

「音楽は魔法」とずっと思っていた。

その魔法は解けたのか?

いや、そんなことはない。

自分は今も音楽の魔法を信じているし、それがあるから今も生きることができていると思う。

 

ある意味呪いのようにも思える絶対的な信頼と、人を好きになるよりもずっとわかりやすい熱量がここには未だに存在している。

 

サブスクのおかげで気になる曲があれば10年前より圧倒的に聴きやすくなった。

twitterでもYouTubeでも、求めれば新しい音楽は次から次へと供給されている。

 

この穴は、どうやったら埋まるのだろう。

また新しい魔法を追いかけられる日が来るのだろうか。

あるいは魔法がなくても生きていけるようになるのだろうか。

 

またこんなくさくて気恥ずかしくて馬鹿馬鹿しい文章を書いてしまっている自分がいる。

でも結局いつまで経ってもそういう人間なんだろうなとも思う。

 

音楽は鳴り続けている。

 

 

 

夢からさめてしまわぬように

・話は続く

 

また書いていこうと思う。続くか分からないけれど。

 

 

・それぞれの切符

 

時が流れるのは速い。

自分もだいぶ歳をとってしまって、でも何も変わらずにいる。

 

・音楽の話

少しずつ新しいものに触れる機会が増えてきた。

サブスクというものはものすごく便利で、何かおそろしさもある。

とはいえかつてのように積極的に探し回る気力の無い今の自分にはちょうど良いかも知れない。なんだか悲しい話ではあるけれど。

 

twitterにも書いたけれど

このブログやtwitterで出会ってやりとりをしていた人、ライブ会場で顔を合わせて感想を言い合っていた人。そんな人たちとほとんど関わりがなくなっている現状をとても寂しく感じる。中にはネット上で音沙汰がなくなってしまった人もいる。どうしているのだろうか。

 

もしできるなら、その繋がりをまた戻していきたいと思う一方で、やっぱり怖さもある。10代のころからほとんど変わらない精神状態で10年以上が過ぎてしまった。

「心なんて一生不安さ」