書くことと話すこと
このあいだここにアップした自分の過去に関するあれこれの文章を、16日にnoteにもアップしました。
実は現フォにもアップしています。
それぞれそこそこ反応いただきましたが、現状現フォでいただいたコメントに一番心が動いたことを考えると、誰かにわかってほしかった、ということなのかと思います。
まだ、いろいろなことを書きたい、そして多くの人に読んでほしいという気持ちが残っているので、しばらくnoteを続けてみようと思います。
このブログを読んでくれている人が今もいるのかはたしてわからないけれど、ここも続けていきます。ここは燃えないゴミ置き場であり、自分の居場所でもあるので。
またやり取りしたい人がたくさんいる。声をかけていけたら、と思う(難しいけれど)
少しずつ
音と言葉を増やしていければ
母が壊れてしまったあの日から
この文章は自分の心と今までの記憶を整理するために書いたものです。
それでいて、誰かに読んでもらいたい、誰かに聞いて欲しいという強い願いを含んだものでもあります。
どこに投稿すればいいか迷ったのですが、とりあえず長い間自分の居場所だったこのブログに上げておこうと思います。
拙いひとりよがりの文章ではありますが、何か感じることがあればコメントしていってもらえると嬉しいです。
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・あの日
母が壊れてしまったのは、今から15年ほど前の冬の出来事だった。
当時高校二年生だった私は、北海道での修学旅行から帰宅し、うかれた気分で玄関の扉を開いた。
父は海外出張中で、大学生の姉は下宿先で過ごしており、母は一人で私の帰りを待っていた。
荷物を降ろして一息ついていると、母はいつも通りリビングから顔をのぞかせ、「お帰りなさい」と言って出迎えてくれた。
その声はとても優しかったが、どことなく雰囲気が暗いのが気にかかった。
見ているこちらが不安になり、得体のしれない怖さを感じる。そんな空気を感じた。
しかし、スキーや街歩きを満喫し、飛行機の遅延によって予定より大幅に送れて帰宅した私は、とにかくへとへとに疲れていた。
母の様子は気にかかったものの、できるだけ早く横になりたい。
実に適当にシャワーを浴びてベッドにもぐりこむと、あっという間に眠りに落ちていった。
馬鹿みたいに深い眠りだった。
翌朝、起きてきた私の顔を見るなり母は「死にたい」と言った。
正直に言って「また始まったか」と思った。
母は少し前から鬱的な状態になることが多々あり、私はこういった発言にはもはや慣れっこになっていた。
適当にテンプレートのような慰めの言葉を口にし、ひとまず母が落ちついたのを確認してから学校へと向かった。
夕方帰宅すると、家の中に母の姿は無かった。専業主婦であり、外出するのも大抵は昼時である母が、特に何も告げずに不在にするのはそれだけで珍しいことだ。
どうやら母は車で出かけたらしい。
何か嫌な予感がしたが、当時母は携帯電話の類を持っていなかったので、特に何ができるわけでもない。
音楽を聴きながらだらだらと帰りを待った。
母から電話がかかってきたのは30分後ぐらいだったと思う。
重く小さく掠れた声で、何を言っているのか、ほとんどは聞きとれなかった。
拾い上げられたのは、ただ、「死にたい」と言う言葉だけ。
こちらの声が届いているのかもわからないまま、電話は切れてしまった。
それから、車が戻って来る音が聞こえるまで、実際には数十分というところだっただろうが、自分には本当に長く感じられた。
ひとまずの無事を知り、私はほっとする一方で、これから先を想像して恐怖を感じていた。
いったいどう母にどう声をかけ、どう接したらいいのだろう。
降りてきた母は呆然とした顔で、私と向き合った。
そして、「死にきれなかった」とぽつりと言った。
・全部嘘だった
ここからの記憶は自分でも驚くほどに曖昧で、おそらく今の私が勝手に作りだした事実と異なる記憶もあるように思う。
しかし、
「私が全て悪かった。全部嘘だった。お父さんもお祖母ちゃんも何も悪くない。全部私のせいだった。」
母が泣きながら、絞り出すようにそう言った、その光景だけははっきりと目に焼き付いている。
・母と私
私は幼少期から根っからの母親っ子だった。
母の言うことを信じ、頼り、依存して生きてきた。
客観的に見てマザーコンプレックスの類だったと思うし、今でもそれはおそらく変わっていない。
そして、母は毎日のように夫や姑への不満を口にしている人だった。それは当時の私にはひどく重たい言葉に思えた。
母と父はよく喧嘩をしていたものの、関係が破綻していたわけではなかったし、普段は笑顔で会話していることも多かった。
しかし、周りに私や姉しかいない時に母がこぼす愚痴や怒りの言葉は、呪いの様に私の頭の中に刻み込まれていった。
「全て私が悪かった。全部嘘だった。」
その言葉は、母にとっては鬱状態の混乱から生じた気の迷いのようなものだったのかもしれない。
何かショックを受けて精神的に不安定になった人が、全てを自分のせいにして抱え込み、負の連鎖に陥ることはそう珍しいことでもないだろう。
しかし、当時の私にとってそれは衝撃的な出来事だった。
大げさに思われるかもしれないが、自分の中の価値観が根本から崩れていくのを感じた。
私は母の目線から見た世界しか知らずに生きてきたのではないか?私の考えは本当に私のものだったのか?
そんな思いが私の中にどんどん広がっていった。
そして、その発言をしたあと、「母は壊れてしまった」。
どのタイミングでそれが発症し、どのような経過で重症化したのか、今はほとんど覚えていない。
覚えているのはー
「冷蔵庫から火が出てる!」「警察に逮捕される!」などととくり返し叫んでいる。
怯えた顔でぴょんぴょんとその場で跳ねている、意味もなく、跳ね続けている。
遠方からかけつけた祖父母(母から見た両親)を見ながら「あなた誰?」と問いかける。
ーそんな母の姿。
そして、暴れる母を車の後部座席に無理やり乗せて、家族4人で総合病院へ向かったこと。
イヤフォンで耳をふさぐようにして聴いていた曲が、あまりにも綺麗な音色だったこと。
薬か何かでひとまず落ち着きを取り戻し、帰路に就いた母の憔悴しきった顔。
そんな捨てたくても捨てられない記憶の欠片が、今もふとした時に頭の中によみがえってくるのだった。
・壊れてしまった
2020年の現在は、「統合失調症」という病名が浸透してきたが、15年前はまだ「精神分裂病」という表現が残っており、私の頭に刻み込まれたのもそちらの病名だった。
当時の私にとって、その響きは何か絶望的なものであるように思えた。
これを読んでくれている方、特に病気に関わる当事者の方は、「壊れた」という表現に悲しみや怒りを感じるかもしれない。
しかし、「私の中で」母は確かにこの時壊れてしまった。
それは消しようのない感覚であり、母の症状が軽くなって傍目には普通の生活ができるようになった後も、私の心にずっと重たくのしかかっていた。
あるいは、「自分のこれまでの感覚が壊れてしまったこと」をすべて母のせいにして、心の平穏を保とうとしていたのかもしれない。
それからの私の生活は一変してしまった。
高校にはひとまず通っていたものの、ほとんどのことに集中できず、成績は当然の如くガタ落ち。
家に帰れば、多少落ちついたとはいえ相変わらず妄想の類を語り、死にたいと繰り返し呟く母がいて、部屋にいても跳ねている音がずっと聞こえてくる。
部活に信頼出来る友人達がいたのが救いで、ほとんど部活の時間だけを支えにして過ごす日々だった。
そうして三年生の夏、総体が終わるまでは何とか過ごしたものの、部活動が終わり、完全に周りが受験に集中し始める二学期が始まると同時に、私は学校へ行けなくなった。
・逃げる日々
結局私はあと数十日通えば卒業できるはずだった高校を中退した。
うしろめたさを感じながら家に引きこもり、パソコンに向かって、音楽や詩、小説のサイトを眺め、吐き出すようにブログを書く毎日。
ありがちなことだが、ネット空間で好きなことにだけ接している時は現実を忘れられた。現実から逃げ続けることで、なんとか日々をつなぎとめていた。
・予備校と大学と宣告と
そんなふうにして半年が経ち、少しだけ気持ちが落ち着いた私は、元担任に促されて受けた高校卒業程度認定試験をどうにか受けることができ、合格。大学受験の為に予備校へ通うことになった。
そして、本来実家から神戸市内の予備校へ通えば良いところを、わざわざ京都の予備校を選び、寮に入って1年を過ごすこととなる。
父と、そのころにはだいぶ症状が改善しまともな会話ができるようになった母との間で、どういう会話があったのかはわからない。
しかし、母のためを思うならば、私は一緒に暮らしたままの方が良いということはわかっていた。
それでも当時の私は、これ以上「自分の中で壊れた母」と同じ空間にいることに耐えられなかった。
決して楽しいとは言えない予備校生活であったが、学年で言えば一浪生と同期で奇跡的に志望大学に合格。
自身の鬱状態は簡単には改善せず、不安定な日々では続いたものの、どうにかこうにか講義を受け、週に3、4回は部活動へ顔を出していた。
それなりに充実した大学生活だったと言えるかもしれない。
そんな二回生の冬、母は突然の癌宣告を受けた。すい臓がんであり、見つかった時にはもう手遅れに近い状態だった。
それを聞いた時、私は当然動揺し、悲しみ、怒り、「何故」という思いにかられた。
しかし、そうした混乱がひとまず収まった時、どこかほっとしている自分を発見して愕然とした。
「これでまた、逃げられる。」
・なんだったんだろう
宣告を受けてからの母の様子は、表面的には思ったより落ちついているように見えた。
でもそれは、全てを受け入れていた、というような綺麗な理由ではなく、事実を受け止めきれずに呆然としていたのではないかと思う。
母が入院してから、大学が比較的近かった私は毎日のように病室へ通った。
会話は何気ないものが大半で、ただ言葉もなく静かに時間がすぎるのを待つ時間も長かった。
そして一つだけ、これもまた馬鹿みたいに鮮明に残っている記憶がある。
静けさに包まれた病室で、窓の外を眺める母からこぼれおちた言葉。
「私の人生はなんだったんだろう。」
何も答えることができなかった。
・あの日から
母は1月13日の金曜日に癌宣告を受けた。3月13日の金曜日に容体が悪化し緩和ケアの施設に移った。
そして呼吸をやめてしまったのは4月2日だった。
なんだか笑えてしまうぐらいに不吉な数字が並んでいて、いっそ命日が4月1日であれば嘘にしてしまえたのかな、なんてことを思ったのをよく覚えている。
私にとっての母の死は二度目だった。
ずっと死にたい死にたいと繰り返していた母が、最後は死ぬのが怖い、怖いと言って死んでいった。
あれからもう10年以上が経ち、母は今も死に続けている。
母が壊れてしまったあの日から、今に至るまで、私は何かフィクションの中で生きているような感覚を抱えて生きてきた。
自分がここにいることへの違和感。
端から見れば中学生の妄想と変わらない、そんな幼い感覚。
そして、逃げるための言い訳を常に探している自分への、どうしようもない嫌悪感。
どうせずっとそれらを抱いて生きていくならば、書くことで見えるものがあるかもしれない。そんな考えで、思い出したく無い記憶を掘り起こし、吐き出してみた。
「私の中の母」はあの日壊れてしまったけれど、本当の、生身の母は、きっと最後まで必死で生きていたのだと思う。
「なんだったんだろう」に答えられなかった、そのことが、今もどうしようもなく悲しいし、悔しい。
行くあてのない「ありがとう」を抱えながら、私は今日も逃げ続けている。
音楽ってなんだ
・
10年前と比べて音楽を聴く時間は激減したと思う。
好きだった曲やバンドが嫌いになったとかではない。気が付いたら、なぜか遠ざかっていた。
たまに大好きな曲(GDHMやROTH BART BARONが多い)を聴き、思い出したようにライブに行くが、昔のように新しい曲を次々と求めて貪欲にいろんなものを追いかけることはなくなった。
何故だろう。
・
今でも音楽は好きだ。それは間違いない。
ライブに行ったり配信を観る機会があると、どこまでも満たされる他では得られない感覚がある。
好きな曲を聴けばこれ以上なく感情を揺さぶられるし、知らなかったバンドやシンガーに出会えばわくわくする。
ただ、そこにかつてはあった絶対的なエネルギー、新しい音への渇望、そういったものが感じられなくなっている。
・
「歳をとった」
それで片づけることもできるかもしれない。でもそれは何か違う気がする。
相変わらず精神は幼いままだし、不安定で成熟なんて言葉には縁がない。
そこにはただ、ぽっかりと穴が開いている。
別に音楽を聴く時間が減って生活がうまくいかなくなったわけではない。
傍から見ればむしろずっと長い間何もしてこなかった状況から、少し前進しているように見えると思う。
けれど、そこにはただ、ぼっかりと穴が開いている。
・
「音楽は魔法」とずっと思っていた。
その魔法は解けたのか?
いや、そんなことはない。
自分は今も音楽の魔法を信じているし、それがあるから今も生きることができていると思う。
ある意味呪いのようにも思える絶対的な信頼と、人を好きになるよりもずっとわかりやすい熱量がここには未だに存在している。
・
サブスクのおかげで気になる曲があれば10年前より圧倒的に聴きやすくなった。
twitterでもYouTubeでも、求めれば新しい音楽は次から次へと供給されている。
この穴は、どうやったら埋まるのだろう。
また新しい魔法を追いかけられる日が来るのだろうか。
あるいは魔法がなくても生きていけるようになるのだろうか。
・
またこんなくさくて気恥ずかしくて馬鹿馬鹿しい文章を書いてしまっている自分がいる。
でも結局いつまで経ってもそういう人間なんだろうなとも思う。
音楽は鳴り続けている。
夢からさめてしまわぬように
・話は続く
また書いていこうと思う。続くか分からないけれど。
・それぞれの切符
時が流れるのは速い。
自分もだいぶ歳をとってしまって、でも何も変わらずにいる。
・音楽の話
少しずつ新しいものに触れる機会が増えてきた。
サブスクというものはものすごく便利で、何かおそろしさもある。
とはいえかつてのように積極的に探し回る気力の無い今の自分にはちょうど良いかも知れない。なんだか悲しい話ではあるけれど。
・twitterにも書いたけれど
このブログやtwitterで出会ってやりとりをしていた人、ライブ会場で顔を合わせて感想を言い合っていた人。そんな人たちとほとんど関わりがなくなっている現状をとても寂しく感じる。中にはネット上で音沙汰がなくなってしまった人もいる。どうしているのだろうか。
もしできるなら、その繋がりをまた戻していきたいと思う一方で、やっぱり怖さもある。10代のころからほとんど変わらない精神状態で10年以上が過ぎてしまった。
「心なんて一生不安さ」
2015年 よく聴いた音源まとめ
遅くなりました。
正直に言って、自信を持ってこれを書けるほど音楽を聴けていないのですが…それでもやはり書いておきたいと思います。
・「アンナ*ソンナ*バカナ」/真空メロウ
何年も何年も待ち続け、復活してからもさらに待ち続け、ようやく発売された音源。期待と不安の入り混じる中で再生ボタンを押しましたが、1周した時点で思わず笑みがこぼれてしまいました。これ以上なく真空メロウ。そしてこれ以上なく最高の楽曲たち。久々に言葉にできない素晴らしい感覚を味わいました。
曲によって大きく表情を変える音と言葉。そこに一本の線を引く、捻くれて斜めに傾いて、でもどこか優しい視点。本当に好きです。
元々disk union限定な上に、現状手に入らない状態なのが非常に残念…
・「ATOM」/ROTH BART BARON
- アーティスト: ROTH BART BARON
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今個人的に1番はまっているバンド。壮大なのに親しみやすく、体温を感じる楽曲の数々。どこかアンバランスにも思える歌詞も印象的です。全体的に「音楽団」という雰囲気をまとっているのがまた良い。ちょっとでも気になる人は、ライブに行けば今までに無い体験ができると思うので是非。
「bIg HOPe」
https://www.youtube.com/watch?v=GcIncndXTgM
・「RGBとその真ん中」/the chef cooks me
- アーティスト: ザ・シェフ・クックス・ミー
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カラフルな音が輝くように響く4曲入りの一枚。日常を感じさせつつ、一歩別の世界へ踏み出したような風景も見せてくれる、絶妙なバランスがたまらないです。最後の曲のラスト、「それだけじゃない」という言葉が何とも言えない意味を持っていて、いつまでも余韻に浸っていたくなります。
「キャンバスに幻を」
https://www.youtube.com/watch?v=sM_eZpqhIRY
・「tomorrow's today」/ヒツジツキ
- アーティスト: ヒツジツキ
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ヒツジツキの曲には小説的な魅力があります。それも、特に大きな起伏があるわけでは無いのに、ずっと浸っていたくなるような雰囲気を持った、そんなタイプの物語。
しかしながらここのところ活動していないのが寂しいです…年も明けたのでそろそろ動きがあると嬉しいのですが。
・「LILI&HAL」/限りなく透明な果実
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待望の初の全国流通音源。こちらもヒツジツキとはまた違った形で物語を感じさせてくれるアルバムです。どこかファンタジーのような世界が広がっていて、それを運んでくるメロディがこれまた心地良いです。
もう一枚の今年出たアルバム「Troll Tochk」も良いですが、じっくり聴けていないのでこちらを。
「halo:太陽、オレンジ」
https://www.youtube.com/watch?v=gvaILf4PUYs
・「越冬のマーチ」/mol-74
- アーティスト: mol-74
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冬の空気が本当によく似合うバンドだと思います。
透明感のある歌声にキーボードやギターの音色の柔らかさが重なり合って、白い吐息が目に浮かぶようです。
じっくり耳を澄ませながら聴きたい一枚。
「グレイッシュ」
https://www.youtube.com/watch?v=xcbbCJcnnOU
・「A Place, Dark & Dark」/Poet-type.M
A Place,Dark&Dark-観た事のないものを好きなだけ-
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4部作のうちの3枚。春盤のリードトラックの「地下室でランデブー」というワードを聴いた時はおいおい大丈夫かと思いましたが(笑)何だかんだよく聴いています。春盤は柔らかく。夏盤は激しく。秋盤は…まだちゃんと聴けてないです(汗) 最後がどうなるか、楽しみですね。
「その自慰が終わったなら」
https://www.youtube.com/watch?v=-Xgo3-zKZSs
・「あまざらし 千分の一夜物語 スターライト」/amazarashi
あまざらし 千分の一夜物語 スターライト(初回生産限定盤)(DVD付)
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基本的に収録されているのは既発曲ですが、驚くほど素晴らしいアレンジ。最初聴いた時は軽く体が震えてしまいました。原曲とまるで印象が違うのに、元々ある歌詞の魅力は全く損なわれていないのが凄い。今後もこういう形のアルバム出してくれると嬉しいですね。
・「Talky Organs」/People In The Box
- アーティスト: People In The Box
- 出版社/メーカー: 日本クラウン
- 発売日: 2015/09/02
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正直最初はあんまり好きになれなかったんですが、ライブで各楽曲を聴いて印象が変わりました。
今まで以上に戯曲的で、人形のような役者の姿がちらついて見える一方で、どきっとするようなストレートな感情表現があったり、聴くたびにいろんな発見があります。まさに「例えて言うならば宇宙より広いプラネタリウム」。波多野さんの頭の中身を一度覗いてみたいですね(笑)
「逆光」/People In The Box
https://www.youtube.com/watch?v=wrAYym7wgUk
短いですがとりあえず以上です。まだ手元にはあるもののしっかり聴けていない音源がたくさんあるので、できたらまた追記したいなと思います。…なかなか難しいかもしれませんが。
2016年、少しでもマシな年になりますように。