歌を信じるように

「あなた」も「君」も、何だか怖ろしい。「僕」だけあればそれで十分だ。なんてことを思っている節がある。歌であっても、物語であっても、そんな感覚は常につきまとう。

けれど、時間が経てば、結局のところ「誰か」が欲しくなる。目の前に生きた言葉が無いと、やがては耐えられなくなる。話したいし、聞きたいし、感じたい。

そういうあれこれを頭では理解する。理解するが、怖ろしさは他のどの感情よりも大きくて頑丈で、動こうとする体を押しつぶす。そして「誰か」はいつまで経っても「誰か」のままで。時間ばかりが前に進んでいく。


そんな日々が続いていたけれど、この間、久々にいろんな人と会う機会があった。怖ろしさは相変わらずだったけれど、何とか押し殺した。押し殺すことができた。それだけでも少し嬉しかった。
「誰か」では無い人たちと、生きた言葉で話をした。「お前はもっと人と会うべきだ」なんてことを言われた。わかっている。いつもわかっている。
そこから「わかっているけど」と続くのがお決まりのパターン。けれど、今回はちょっと違った。会いたい、と、心の底から思った。

こんな気持ちがいつまで続くかわからない。わからないから不安になる。「誰か」では無い人を見つけるのは自分にとってとても難しいことで、それが耐え難いほど、もどかしい。
それでも、今は前を向いていたいし、それができる気がしている。全部が突然上手くいくはずは無いけれど、少しずつ、時間と共に、前へ。

「僕」以外の人と、いつも向き合っていけるように。