飛べない翼


・なんだか


やりたいことがたくさんあるはずなのに、
何もしないで日々が過ぎていく。
義務感を持った瞬間に、全てが苦痛に変わる。
いつからこうなったんだろう。前はむしろ逆だったはずなのに。


言葉の生まれ方も中途半端だ。



岩井俊二 「リリイ・シュシュのすべて」 読了


リリイ・シュシュのすべて (角川文庫)

リリイ・シュシュのすべて (角川文庫)


ものすごく今更だけど読みました。映画観て、曲を聴いて、そして最後に小説。なんだか不思議な感覚だったけれど、とても良かった。


この物語は全部が嘘くさい。

ネットでの連載、掲示板に書き込まれたという体裁での文章。ありそうに見えて、実際ありえない、チャット形式の会話は、見ていて気分の悪くなる、でも読み進めてしまう、何とも言えないバランスで成り立っている。 
小林武とsalyuらによって半現実化された音楽。このグループ(と言っていいのかはわからないけれど)や曲の作られ方も相当うさんくさい。違和感たっぷりで変な匂いが漂っている。これは物語内のリリィシュシュと「フィリア」に被るものもある。(意図的なんだろうけど)
そしてそれらをまとめて映像化した映画「リリイ・シュシュのすべて」。
全部が仕組まれたエンターテイメントで、ある意味中身のない虚構。同じように、物語の中のリリイの存在も意図的にあやふやで実像の見えないものになっている。


にもかかわらず、この物語は気持ち悪いほどに生々しい。ある種現実以上にリアルに感じてしまう場面が多々ある。不思議だ。冷静に見直せば、矛盾だらけで破綻しているとさえ思えるのに、普段の日常に入り込んでくるような凄味があって、気が付けば頭に曲が浮かんでくる。

小説では、実際にはリリースされていない曲もいくつか登場していて、その詞がまた妙に印象深い。どんなメロディかは分からないにもかかわらず、それもまた、「リリイの曲」として、脳内に入り込んでくる。

妙な話だけれど、リリイ・シュシュと、その物語は、その嘘っぽさ故に、「架空のキャラクタ・作品」とは一線を画した存在感を放っているように思えた。


多分そのうち自分はこの物語を忘れるだろうけれど、リリイ・シュシュという存在、その不思議な概念、そして生みだされたいくつかの歌は、ずっと頭の中に住み続けていくことになると思う。