褪せるだけの色で飾りたくはない


実家に残ってた昔買った音楽雑誌(主にBUMPやミスチル関連)
を読み返してたら、BURGER NUDS時代の門田さんのインタビューが載ってました。


そんで読んでみたところ、やっぱりこの人の感性は独特で、
なおかつ人を(というか自分を)ひきつけるもんがあるなーと実感。
以下、引用部分は ROCK'IN ON JAPAN 2002年 VOL219 内のインタビューからです。



まず、

希望も絶望も歌わない。「バンプオブチキンやシロップ16gとは方法論は違うけど、
ベクトルは同じ」
と12月号で語ってくれたバーガーナッヅ。


という冒頭文の時点でテンションが上がる自分(笑)
昔はバーガー&BUMP&シロップ&ハックルベリーフィンでライブやったこともあるんですよね。
そのころ出会いたかったなー…。


記事ではバーガーの新譜(自己暗示の日リリースの頃だった模様)や
彼らの基本的な部分に関する紹介がされた後、

今回も「人と接するときの自己嫌悪のあまり前髪が伸びすぎてしまった」
Vo&Gの門田、きっちり語ってくれました。


というまとめでインタビューが始ります。その紹介の仕方どうなんだw
以下印象に残った門田さんの言葉抜粋。



「普段生きてる中で上を見たり前を見たりすることよりも、
自分の底を見たいと思って生きてるから。
掘り下げてく作業ってのが音楽になってるような気がしてね。
(中略)
俺が音楽を通してやることって、そこなんじゃないかなぁ。
飛ぶことじゃなくって、潜ること。


いきなり名言。(自分の中で)
飛ぶことじゃなくって、潜ること。ですよ。
うあー(、、、、!)
なんというか、こういう部分がBURGERの何ともいえない奥深さ、
中毒性につながってるのかなーと思います。



「俺が思ってる自分て言うもののほかにも、数えきれない客観としての俺があって。
主観としての俺はたまに死にそうになりますよね、そうなってると。
どれが俺なんだろう?みたいに思っちゃう時もある。だからすごいみんなに申し訳ないなと思ってる。
(中略)
わかんなくって俺は俺っていう自分を持って話しててもいいのかな、
俺の意見だって思って話してんのかなと思っちゃう時があって。」


これはすごくよくわかります。
今もそうですが、聴いてる音楽や本、他者やマスメディアを通じて
入ってくる意見に無抵抗に引きずられたり、
他人から「お前は〜なやつだから」というふうに言われて、
それに合わせた思考回路がいつのまにか出来てるような気がしてしまったり。


で、こっから先の考えがまた。

「自分てものがよくわかんないから優しくなりたい……
結局は、じゃぁその優しさが回帰するものっていうのは何かなと思うと、
それはまた新たな傷だったりするんだよね。
自分がよくわからない、だから歌うたってる。
そんでその歌が、何かの優しさであればいいなっていう思いだったりして。
形になることによってまた新たな傷を生んで、またそこで新しい曲が出てくる。
そういう循環なんでしょうね、結局は。前に進むその作業を循環さしてるってこと。


なんというか、普段どういうふうに頭を使ってたら、
こんな人生論みたいな言葉がぽんぽん飛び出て、
しかもそれが音楽に繋がっていくのか、不思議です、いい意味で。


彼が作る曲(特にBURGER時代において)は決して真っすぐな感じでなく、
少し角度の違うところから世界を見てるような雰囲気なんですが、
それでいて正直で透明で、純粋な印象を聴き手に与えるんですよね。矛盾してますけど。
でもその矛盾が、彼の言う「優しさと傷」からきてるのかなー、とこれ読んで思いました。



どっか新しい地平とかっていうものに、興味がない、必要性を感じてない。
そんなところはないんだって思ってる。
自分はここにいたいってこと。ここで何をやるかが問題だから


これも、うーんとうなってしまうセリフ。
マーガレットズロースの「ここで歌え」を思い出しました。

http://www.myspace.com/magazuro


「ここじゃないどこか」を探す人もいるし、BURGERやマガズロのように
あくまでも「ここ」で何かをしようとする人もいる。
自分はどっちもありだと思ってます。(「ここ」で何かを〜の方にひかれますけど)
どっちつかずで宙ぶらりんになってしまうのが一番よくないんだろうな、と。


音楽に限らず、熱のこもった何かを生み出せる人ってのは、
しっかりした芯を自分の中に持ってるなーっていつも感じます。
例え迷いながらでもそこだけは折れない、というような。それを羨ましく思ったり。




・最後にインタビューの冒頭にあったコメントを。

「俺が思うに、希望とか愛とか、悪とか夢とか、この世にそんなものないのに、
そうやって言葉をつけるから、すごい一時的でね。俺はそういうのが無い。
言葉じゃなくて、その意味?その行動理念とか、そういうものが大事なのに。
正義とか悪とか夢とか愛とかっていうのもよくわからないから、それを歌ってる」

これ見てああ、と思うところがありました。
BURGER NUDSと、現在門田さんがやってるバンドGood Dog Happy Men
歌詞もメロディも歌い方も曲構成も、全くと言っていいほど違うのに、
何度も繰り返して聴いてたら、なんだか同じ空気を感じることが何度となくあった理由。
こういう根っこの部分が変わってないんだな、と。


BURGER NUDSはGDHMとは全く違ったバンドですし、その音がもう生で聴けない、
(もっというと音源すら聴きにくい)、ってのは本当に残念なことです。
でも、幸いにも自分は、門田さんが「よくわからないもの」を別の形で表現しようとして
新しく初めたGDHMの世界観を、好きになることができました。


これからも、GDHMが「よくわからないもの」をどうやって曲にしていくのか、
じっくり見守っていたいと思います。
もちろん、BURGER NUDSが残してくれた、「優しさと傷」が作る音も、繰り返し聴きながら。


奥歯で薬をかみ砕くことよりも
「愛」っていう言葉使って愛することやめるよりも
言葉には棘残したままで
心には壁残したままで
飛んでいこうよ
(「Twice Birds' Singing 」/Good Dog Happy Men)







以下、自分用記録。














ふう、長々と書いてしまった。
なんでこんな時にこんな文章を書く気になるんだろう。
そうしてないと気がまぎれないからだろうか。
よくわからない。(この気持ちも、BURGE NUDを聴いてると少し落ち着く)


今日は母の入院の日だった。
家を出る前に家族四人で写真を撮り、(4年ぶりぐらいだと思う)
全員そろって病室まで案内してもらった。


本当に今までの経緯を思うとやりきれない思いでいっぱいになる。
目を合わすのがつらかったけど、本人が一番つらいんだからこっちが弱さは見せられなかった。


本当は病院を出ないといけない夜のぎりぎりの時間までいるつもりだってけど、
結局自分は朝から少し感じていた風邪っ気が悪化して、
くしゃみを我慢できない状態になりそうだったから、仕方なく帰った。
入院患者がいる病棟の中で風邪引いてるやつがうろうろしてたら、ただの危険物だ。


なんでこんな時まで力になれないんだろう。


本当に、無力で、努力もできなくて、
口だけ達者な自分に嫌気がさす。


正しさを祈りながら…折れてしまいそうだ。





重松清季節風※夏 僕たちのミシシッピ・リバー」読了


短編。どれも良かった。
この人の書く文章は本当に柔らかくて、悲しいほどに優しい。